不完全な人ブログ

フライフィッシングについてだったり日々のつれづれについてだったり

川に落ちる、から派生した話題

以下、実は「昨日は給料日だったので 釣りバージョン」の続きとして書いていたのですが、あまりに話が飛びすぎたのでカテゴリ分けしました。

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川に落ちるで思い出したのですが、釣り人なら一回や二回はフィールドでこけて全身ずぶ濡れ体験はやっているのではないかと思っているのですが、私だけでしょうか。

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川で転んだ話を知人にしていたとき言われた一言があります。
「いやー、amui(ワタシの名前)さんって、川で転んでも『きゃ〜!!きゃははははは〜!』って笑いながらそのまま流されてそうだよね〜。そのまま下流まで流されていく様が見たい。すっげーオモシロそう。」
あのう、貴方のワタシに対する評価は一体なんなのでせうか、と思った一言でした。もし私が流されたら指さしながらオオウケされそうです。もしそうなったら、笑って見てないで助けて下さい。お願いですから。
しかし実際、自分がそういう状況になったら、自分自身大いにウケて笑いながら流される、という可能性はかなり高いです。私はそういう人間です。いざって言う時に何故か大笑いします。昔、かなり派手にびたーん!とずっこけて、胸を強打、しばし息が出来ない、という状況に陥ったことがあります。その時は床から立ち上がるよりも先にとりあえず大笑いしました。実際あのときの転び方は見事だったはずです。吉本なんかに負けないくらいに。

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実のところ、「危機的状況においてもこの人はきっと笑っているんだろうな」と思われることは嫌いじゃありません。むしろ、そう印象づけるように努力しさえします。
どうせなら、他人には笑顔のイメージを持っていてもらいたいのです。私を思い出したときに、あぁあのいつもニコニコしてる子ね、と思ってもらえたら本望。それが例え100%の好意じゃなくても構いません。(いつも笑っている、イコール、物事を深く考えない幸せな人*1だという捉えられ方をすることもありますから。)
要は、どんな状況でも笑顔を絶やさない人間でありたいな、という自分の希望があるのです。その結果として、周りの人にも多少なりとも笑顔を提供できれば良いな、と。つまり自分が常に、幸せや喜びや楽しみや面白みを感じられる人生を送りたい、というただそれだけのことなのかもしれませんね。今までも、そしてこれからも「よかった探し*2をモットーに生きていきます。

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以前に友人と上記に近いことを話していて、「じゃあいつも幸せでいるためにはどうしたらよいのか」という話題になったことがあります。
私は「良かった探し」を推したのですが、どうやらそれだけでは弱かった模様。
しばらく、あーだこーだと議論をするも、結論は出ません。
その後、話題を変え、「なんだかんだいって片思いって楽しいよね」という話になりました。
「だって好きな人がいるんですよ!」
「片思いって基本的に自分の中の妄想の世界だね。」
「そうそう。今日は廊下ですれ違ったとか、挨拶したのにそっけなかったとか、ちょっとしたことに一喜一憂するわけですよ。そういうのすべてひっくるめて楽しいものだと思うのです。」
「うむ、確かに生活に張りが出るね。」
どうやらこの点では二人の意見は一致したようです。
つまり、「好きな人がいる」=「人生楽しい」という公式が出来たわけであります。
そこまで話したところで当初の話題に戻って「いつも幸せでいるためにはどうしたらよいのか」。「好きな人がいる」=「楽しい」のであれば「いつも好きな人がいる」=「いつも楽しい」のではないのだろうか、という推測が出来上がります。結果、「いつも幸せでいる為には」「好きな人を作ればよい」という結論に落ち着きました。つまり、幸せでいたければ恋多き人間であれと。おぉ、結論が出たよ、綺麗にまとまったなぁ、という具合に二人で満足しました。(実のところ当時それぞれ私生活でいろいろありまして、二人してやさぐれ気味でありましたが、まあその辺には目を瞑っておきましょう)

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「じゃあ、幸せになりたきゃ、好きな人作れってことか。」
「そういうことになりますね。」
「それが、なかなか難しいんだよなー。」
「そりゃ、理想が高すぎるんですよ(笑)」

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これらの会話、どちらが私の発言だったかは敢えて言及しないでおきます。

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その時の「好きな人」は異性限定(今の時代そうとは言えないでしょうけれど)、つまりは彼氏彼女になって欲しい人、という意味で使っていました。しかし今となってみれば、恋愛的な意味での「好きな人」に限らず、友人として、家族として、更にはたとえファンとして、であっても「好きな人」がいる事は、恋愛対象としての好きな人がいることと同じくらい幸せなのではないかと思います。
人に目を向けることが出来る、というのはその分だけ余裕がある、ということになります。人に興味を向ける余裕がなく、自分自身のことで手一杯になってしまった状態は、孤独といえるでしょう。

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人は、独りで生きていけるほど強い存在だとは思えません。弱さを持っているから、人に惹かれるし、人を好きになるから、強くもなれる。私はそう思うのです。

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ところで、なんでこんなことを長々と書き連ねているんでしょうね。
書いていたら止まらなくなってしまいました。
釣り話からはじまったこの話題、思わぬところに着地してしまいましたが、たまにはこんなことを書きたくなる日もある、ということでさらりと読み流して下されば幸いです。

*1:この場合、お気楽な人、何も考えない人、という含みのある「幸せな人」

*2:世界名作劇場ポリアンナ物語で出てきた言葉。日常、どんなことが起こってもその中から良かったことを探しだす、とてもポジティブなゲーム。